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「秋の日に」

 WagnerのMeistersingerが終わると「休憩」という掛け声がかかった。同時に、ガタガタと席を立つ音がしている。私も席を立とうとすると、「お前、オーケストラ嫌いだろ」と指導者である教授から声をかけられた。答えることができず、私は押し黙っていた。その場で「嫌い」なんて言うことは許されないと感じていたし、周囲のオーケストラメンバーにも話したことがなかったから。でも、「いや、いいんだ。俺も嫌いだ」と指導者に言われ、私はホッとした。


 私はヴァイオリンを弾く生活を長く続けてきたが、集団の持つ枠や、嫌な感じ、ある種の興奮に似たものを最初に意識した経験は、大学のオーケストラの練習の時間であったと思う。コンダクターの振るタクトに合わせて、呼吸から弓の流れ、音程まで一糸乱れぬ協調が求められる。コンダクターが入室するまでにチューニングを完了させておかなければならず、遅刻など許されるはずもない。練習中は皆の前で叱責されることもある。一方で、公演などでは観衆の拍手に包まれ高揚感を感じることもあった。コンダクターに従順に従い、集団で一つの完成形を目指すもので、集団の中の個は認められないような息苦しさを感じて、私は正直好きではなかった。


 ある日、生活の一部であったヴァイオリンに触れることを止めた。それから20年以上が過ぎた今、集団精神療法の中で集団の中の「個」を大切にすることを学び、嫌いと言ってよかったグループの中にいる。振り返ると、嫌いだからこそ知りたいと思い学び続けているのだと思う。


 今回、梶本さんからコラムの依頼を受けたとき、以前ご一緒した体験グループを思い出した。私はその場ではじめて、自分が目指していたこと、それを諦めたことを言葉にした。長年心にあった悲しみや、苦しさから解放された忘れられない体験であった。「解放された」と感じたのは体験グループが終わってしばらく経ってからと思う。

 私は、今もヴァイオリンを手に取ることはない。「もったいない」とよく人に言われるし、自分でもそう思う時もある。しかし振り返ると、あの時の練習があったからこそ今の自分があると思えることが私の宝物で、そのことに気付くことができたグループに感謝している。


片岡 圭美




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