先日24、25日は、ハイム・ワインバーグ博士のグループサイコセラピー国際訓練プログラムの入門コースに参加しました。ハイムさんの紹介を少し。国際集団精神療法・集団過程学会(IAGP)の前理事等をつとめた人で、ご自身の臨床に加え、世界各地の臨床家にグループセラピーの訓練やコンサルテーションをしています。現在は米国サクラメントサイコセラピーセンターに所属されています。
このたびいくつかの訓練プログラムが日本で開催され、ぼくはそのうちの入門コースに参加したというわけです。
ハイムさんは英語で話をし、通訳を経てぼくは理解するのですが。英語が苦手なぼくは、苦手なりにハイムさんの話を「直」にわかりたくて。特に彼が話したタイミングと言葉で、わかりたいとか思っちゃってました。やはり集団精神療法のプログラムだけあって、そこは「グループ」です。ハイムさんとぼくらは会話をしながら学んでいく感じがあって、いくら上手な通訳といえど、自分が直に理解できなかったり、話せないことにもどかしさを感じました。
しばらく頑張っていると、なんだかやたらと「目」が疲れたことに気がつきます。どうやらハイムさんの口元やら表情やらで、言いたいことを読み取ろうと(聞こうと)したみたいで。そして、ぼくは気づいたのです!「目では聞けない」と。疲れるだけです。
さらには、なぜか周りのメンバーに対しても、目で聞こうとして「ガン見」して、“目からビームが出ているようだった”と言われる始末。きっと変な迫力が出ていたのでしょう(笑)
そう。「目は聞けないけど、言える」んです。
さてみなさんはグループセッションのとき、目はどうしてますか?
話し手の方は見ても、頑張ってまでは見なくて。どこかをぼんやり見たり、目を閉じたり・・・。そんなにことばの入力に頑張ってないんじゃないでしょうか。ぼくもそんな感じです。
でもぼくの場合、考えてみれば、話し手の話がわからなくなったり、何かの理由で頑張ってるときに、「目でも聞こうとしてる」ような気がします。個人の面接などでも、同じだと思います。
それはなぜか、そしてあらためる必要があるかどうかはまたゆっくり考えるとして。「目に頼りがち」という思わぬ副発見をしたのでした。
そして、「目は聞けないけど、言える(勝手に言っちゃう)」に気をつけようと思いました。・・・
・・・違うかな。ただの眼の老化だったりして(笑)
桜庭 拓郎
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